柳澤寿男

  • 2013/10/30

パリ・エコール・ノルマル音楽院指揮科に学ぶ。旧ユーゴを中心に活動する指揮者として知られている。コソボ紛争後の暫定政権下のコソボフィル首席指揮者に就任。またバルカン半島の民族共栄を願ってバルカン室内管弦楽団を設立。著書に「戦場のタクト」(実業之日本社)。

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やりたい方向に全然進めなかった。

濱田:柳澤さんは小さい頃から指揮者を目指されていたんですか?

柳澤:いや、実は指揮者になろうなんて全然考えてなくて、何となく先生になりたいと思っていました。それで高校生のときに学芸大学を目指していたんですが、受からなくて。国立音大にトロンボーン専攻で入学して、でも学芸大に入り直すつもりで勉強していました。結局受験せずに、そのまま4年間音大にいたのですが…。

濱田:そうだったんですね。教師を目指されていたというのはちょっと意外でした。

柳澤:音大を卒業して教員採用試験も受けています。でも、これも受からなくて。学芸大も採用試験も落ちたし、自分のやりたい方向に全然進めない。だんだん本当に教師になりたいのかもわからなくなってきて、かといって他に何かやりたいことがあるわけでもないし、22歳の頃は宙ぶらりんになっていましたね。大学卒業後は、バイトをしながら1年間くらいブラブラしていました。でも、先輩に誘われて日本大学大学院芸術学研究科に進むことにしたんです。その時もまだプロの音楽家になるつもりはなく、教師になるつもりだったんですけど。

濱田:そこからどうして指揮者になろうと思われたのでしょうか?

柳澤:ある日、西洋音楽史の先生が「ウィーンに行くので1ヶ月間休講にします」と言うので、その場で「僕も行きます!」と言って、一緒に行くことにしたんですね。どうしてかわからないんですけど、一緒に行かなくちゃと直感で思ったんです。 それで、初めての海外でウィーンに行きました。着いたその日にそのまま小澤征爾さんの演奏会へ。夜7時半にコンサートがはじまって、終わったのは10時だったんですけど、この2時間半の間で指揮者になろうと決めました。僕の指揮者としての運命が始まった日は、24歳のこの日からです。

濱田:私はてっきり、指揮者になるような方は小さい頃から目指しているものかと思っていました。

柳澤:いや、みんな小さい頃から指揮者を目指していたような人ばかりですよ。僕みたいに思い付きでなった人は珍しいと思います。それまでは指揮者になりたいなんて1ミリも思っていませんでしたからね。

どうやったら指揮者になれるのか分からなかった。

柳澤:指揮者になろうと決めて帰国したものの、今度は何をすればいいのか全然分からなくて。もし、濱田さんが指揮者になりたいと思ったとしても、何をやっていいのか分からないですよね?

濱田:全然想像がつかないです。まずネットで「指揮者になるには」って調べますね…。

柳澤:今だったらそうかもしれませんが、当時はネットがありませんでした。だから、とりあえず有名な人のところに弟子入りしようと思ったんですけど、経験がないから誰も弟子にしてくれなくて、10人くらい断られました。唯一弟子入りをさせてくれたのが、佐渡裕さん。それは僕が25歳になる直前の話で、指揮者になろうと決意してから1年以上師匠を探し続けていましたね。

濱田:1年以上も…。その間は何をされていたんですか?

柳澤:小澤さんのビデオを見ながら、真似をして指揮を振ったり、近所のアマチュアオーケストラに行って「振らせて下さい」ってお願いしたり。そこでは一度断られたんですけど、練習だけでもいいから振らせて下さいってお願いして、練習を振りに行っていましたね。

濱田:10人も弟子入りを断られて、「もう無理なんじゃないか」とは思わなかったんですか?

柳澤:それは全然なかったですね。指揮者になる!って決めていたし、やることがない、やりたいことが分からない自分には戻れないと思っていました。

濱田:佐渡さんはなぜ柳澤さんを弟子にしようと思われたんでしょう?

柳澤:しつこかったからじゃないですか?

濱田:(笑)。でもそれって大事ですよね。

柳澤:佐渡さんは本当に良い人で、誰にでも弟子になっていいよと言ってくれるような人だったんです。だから佐渡さんの弟子ってものすごくたくさんいて…確か15人位いたかな。でも、大変過ぎてそのうちみんな来なくなっちゃうんですけど、僕はずっと佐渡さんについて回ってました。2年後にパリへ留学したんですが、それも佐渡さんがパリにいたからですね。

濱田:そこまで佐渡さんに惹かれていたんですね。

柳澤:そうですね。人柄もですが、やはり佐渡さんが創られている音楽に心底惚れていました。佐渡さん以上の音楽をやっている人はいないって思ったんです。でも、佐渡さんを追いかけてパリに留学をするとき、佐渡さんの周りの人みんなに反対されました。音楽と言えばウィーンが本場だし、佐渡さんにとっても邪魔だろうし。それでも僕は佐渡さんの元で学びたいと思っていたし、学校に通うというよりは、佐渡さんのアシスタントとしてパリで活動するという気持ちだったので、決断は揺らぎませんでした。周りの人には呆れられましたけどね。

濱田:柳澤さんはバルカン室内管弦楽団を設立するなど、バルカン半島で活躍されていますが、どういったきっかけでバルカン半島に繋がりが出来たのでしょうか?

柳澤:2004年にたまたま、ハンガリーで音楽マネジメントと音楽事務所をやっている人から、バルカン半島で何かやってみないか?という話を頂いたんです。それで、マケドニアの国立歌劇場でオペラの指揮をすることになって。大成功したので、そのままその劇場の指揮者になりました。

濱田:そのままマケドニアで活動をされたのですか!?

柳澤:はい。2007年までやっていました。海外で活動してみたいという気持ちはありましたが、そこまで狙っていたわけではなく、たまたま頂いたこのチャンスが上手く行き過ぎてしまって、そのままやることになったんです。

濱田:突然の決断ですね。「ここだ!」と思われるようなものや、日本で何か物足りなさを感じたりされていたのでしょうか?

柳澤:一言で言うと、出会ってしまったから。これは指揮者という職業に関しても同じで、出会った以上は「やらない」という選択肢が僕にはなかったんです。

なりたいものになってからの方が大変。

濱田:最後にやりたいことが見つからないと悩んでいるような人達に、何かメッセージを下さい。

柳澤:若い人は、いっぱい悩んだ方が良い。実は自分のやりたいことが出来るようになったり、なりたいものになれたからといって、終わりじゃないんですよね。むしろなってからの方が大変だと思います。例えば指揮者ってたくさんいるんですけど、全員に特徴があるわけではないし、ほとんどの場合は、その人が倒れたとしても代わりの人はいくらでも見つかる。でも小澤さんや佐渡さんだと、代わりの人っていないんですよね。その人じゃなきゃだめなんです。そういう立ち位置を見つけるのってすごく難しい。僕も「柳澤さんじゃないとだめなんです」と言われる人になりたいですね。

濱田:なりたいものになってからの方が大変…。確かにそうですね。

柳澤:なりたいものになれないっていうのは、それはそれですごく苦しいと思うんですけど、実はなってからの方が大変。注目してもらえたとしても、それを維持していくのが難しい。ずっと最先端の部分で走り続けないといけないから。若いうちは、自分が何者になりたいのか、何をしたいのか、とことん悩んでおいた方がいいですよ。僕も昔とにかく悩んだから、今何かあっても大丈夫だと思える。悩むのは悪いことじゃない。きっと、悩むことの中から良いものが生まれてくるんじゃないかな。

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