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会社員 – 25zine http://25zine.com 25zineは、25歳から先の人生を考えるインタビューマガジンです。 Tue, 23 Oct 2018 09:25:39 +0000 ja hourly 1 https://wordpress.org/?v=4.8.24 金谷武明「未来はやっぱり見えないから面白い」 http://25zine.com/kanaya-takeaki/ http://25zine.com/kanaya-takeaki/#respond Thu, 30 May 2013 14:00:54 +0000 http://25zine.com/?p=499 最初の10年は今の仕事と全く関係ない仕事をしていた

濱田:ではまず金谷さんのキャリアのスタート時点のお話をお伺いしたいんですが、最初からWeb業界で働いていたわけではないんですよね?

金谷:そう、最初の10年は今の仕事と全く関係ない仕事をしていたんだよね。そもそも就活していた時期はインターネットが普及していなかったし。もともと学生時代は音楽をやろうとしていたんだけど、90年代に入って音楽のトレンドが変わってしまって、今で言うJ-POPみたいな音楽が主流になった。でもそういう時代に自分がどういう音楽を作るべきかわからなくなったんだよね。だから「こういう音楽をやりたい」っていうのを見つけてからバンドを組んで活動していこうと思ってはいたんだけど、結局やりたい音楽が見つけられず、学生時代は音楽をやらなかった。曲を作ったりしていただけでこれといって何もしない、意識の低い学生でした(笑)。

濱田:そうだったんですね(笑)。それで音楽の道に進まず、就職活動をされたんですか?

金谷:うん、でも普通に就職活動をしたんだけど、どこからも内定をもらえなかったんだよね(笑)。ちょうどバブルがはじけたってこともあるけど、音楽やりたかった気持ちが残っていて全然準備ができていなかった。それで1年就活のために留年したんだけど、やっぱり音楽がやりたくて、でも音楽をはじめない、だからといって仕事もしたくない、というダメダメな感じで結局2年目の就活もどこもだめだったんだよね。最終的には地元の会社に就職したんだけど、合わなくて3ヶ月で辞めちゃったんだよね(笑)。

濱田:3ヶ月ってまた早かったですね(笑)。

金谷:入ったからには一生懸命やろうと思ってたんだけど、どうしても納得いかないことがあって試用期間終了とともに辞めちゃったんだよね。

濱田:辞めた後はどうされたんですか?

金谷:一ヶ月は無職。何しろその頃はまだ第二新卒という言葉もなかった頃で、転職というと経験者募集ばかりだから応募できないし、卒業してるので新卒枠では受けられないし、ほんと苦労したんだよね。おまけに当時はインターネットもないから転職情報は非常に限られていて、転職雑誌や新聞の下に載っている求人情報からくらいしか仕事が探せなかった時代で。で、苦労しながらも何社か応募して、何社か落ちて(笑)、でもなんとか特許事務所に就職できた。特許事務所での仕事は事務的な仕事だったんだけど、残念ながら特許にあまり興味を持つことができなかったんだよね。でも事務所の中には特許に興味ある人たちはたくさんいて、そういう人たちを見ていて、俺も何か本当に自分が関心あるものを仕事にしたいって漠然と思うようになったんだ。

濱田:すごくわかります。自分が苦手なことを楽しそうにやっている人を見ていると、同じことを思います。

金谷: 一日の大半を仕事して過ごすわけだから、やっぱり好きなことを仕事にしたいよね。とは言っても、実は特許事務所での仕事を楽しいなって思っていた時期もあった。17時には仕事が終わったので、ギターを弾いたり曲を作ったりする時間もたくさん取れたのでなんて幸せな仕事なんだろうと(笑)。でもそんなことを幸せだと感じているのは一瞬だけだったな。さすがに30歳くらいになってもっと色んな経験がしてみたいと思うようになった。いつまでも「うちの会社楽だから」なんて言ってたらやばいよね(笑)。

インターネットの最先端を見てみたかった

濱田:それで金谷さんは、その後どういう仕事をしたいと思うようになったんですか?

金谷:20代は結局ずっと音楽をやっていたんだよね。自分がやるべき音楽なんて見つからないままだったんだけど、社会人になってとりあえずバンドを始めたんだ。その頃、ちょうどWindows95が普及し出した時期だったのね。俺が買ったのはMacだったんだけど(笑)。そこからWebに興味を持って、バンドのホームページを作って色んな情報を発信したりしてた。英語の歌詞で歌っていたし、世界に自分の音を届けられるんじゃないかってわくわくして。 ひょっとしたらミック・ジャガーが俺の曲を聴くかもしれないと思うと、なんてエキサイティングな時代がやってきたんだろうと。
 そういう楽しさがあったから、Webの仕事をしたい、Webクリエイターになりたいって思うようになったんだけど、30歳で未経験だから、まあ普通は雇ってもらえないじゃん。そこで特許の仕事をしていたから、特許を軸にどこかに入れないかなと思って活動をしていたところ、入社できたのがソニーコンピュータエンタテインメントの法務部門。1年半くらい働いた後に社内公募に応募して、Webの部署に行くことが出来た。だからインターネットの仕事を始めるまで社会人になって10年近くかかっているんだよね。

濱田: そのWebの仕事は楽しかったんでしょうか?

金谷: 楽しかった。いい仲間にも恵まれたし、本当に楽しかった。けど、インターネットの可能性がどんどん見えてきた時代に、それを活かせる環境では全然なかったんだよね。それでインターネットの最先端を見てみたいって思うようになって。そう考えたときに行きたい会社がGoogleだった。

就活が最初の職業の選択ではない

濱田:今って就活が上手くいかなかったことをきっかけに自殺してしまう人もいるじゃないですか。金谷さんも就活が上手くいかなかったわけですが、そういう若い世代を見ていて何か思うことはありますか?

金谷:就活が原因の自殺はなんとかできないかな、と思うよね。ひとつ思うのは、社会から必要とされてないとか、自分の存在を否定されたとか、そういう風に考えないでほしいな。全然そんなことないからね。俺の経歴を見てもらってわかるように1回目の就活もだめで、2回目の就活もだめで、そうすると俺なんか相当社会から必要とされてないことになっちゃうよね(笑)。
 でも今、普通に働いているわけで、必要とされてるかどうかなんて関係ないんだよね。それに大学生の就活って、ちょっと大げさに考え過ぎだと思う。人生の転機としてはもちろん重要なんだろうけど、最初の職業の選択ではないんだよね。みんな実は無意識に中学生の時に高校へ行く選択、高校生の時に大学へ行く選択をしてきているわけで。大学での就活だけ何か特別なことのように感じている人が多いけど、実は何度も職業の選択はしているんだよね。だから単に何度目かの将来の選択に過ぎないと思う。

濱田:それでもやっぱり、就活が上手くいかないと自分を否定されたような気持ちになってしまう人って多い気がします。

金谷:もちろん、友達が内定をもらっていく中で自分だけ取り残されているような感覚は今でも忘れない。それに内定が貰えなかったことはやっぱりそれなりにショックだったしね。でも2年やってダメだったんだからもう仕方ない、ということで就職活動で内定が貰えなかった、という現実は受け入れたんだよね。ただ、それは就活を2年やって、でもひとつも内定が貰えなかった、というだけの話で社会から否定されたわけでも僕自身が否定されたわけでもない。内定が取れなかったという事実は受け入れるのはきついかもしれないけど、事実だけど受け止めて、その気持ちを次のステップに活かせばいいんじゃないかな。実際、今の世の中ってそういう人にも優しい、挽回できる世の中になってきていると思う。俺もインターネットの仕事に就いたのは32歳だったしね。

周りを気にしてもいいことなんてひとつもない

濱田:今振り返ってみて、そういう挫折を経験したことは良かったと思えますか?

金谷:うん、俺はあの時の経験が失敗だというのならば、失敗して良かったなと思うし、失敗って貴重な経験だったと思う。あの時に辞めていなかったら、今の自分にはなれなかったな、と思うしね。20代は将来が見えなくて不安にもなったし、迷いも沢山あったけど、あの日々がなければ今はなかったって言える。

濱田:私も金谷さんのように、天職だと思えることを仕事にしたいです。

金谷:あ、いま俺は天職だと思える仕事をしてるとは思ってないんだよね(笑)。もちろんGoogleの仕事は楽しいし、好きだし、やりがいもあるけど、天職とは違うかな。それよりライフワークだよね。どんなライフワークを持って、今やってる仕事がそのライフワークにどう結びついているかどうかをイメージできるかどうかが大事なんじゃないかな、と思ってる。そして目の前のことに一生懸命取り組むことで次のステップが開けてくるんじゃないかな、と。先の事なんか見えるはずないから、まずはやってみないとね。

 振り返ってみると、20代は本当に音楽しかやっていなかった。スキルアップとか自己啓発とかビジネス的なことに一切興味ないから実際何にもやってなかったし、曲を作って歌を歌っていただけなんだけど、ついでにやっていたバンドのホームページの作成とかが今に繋がっているから人生分からないよね。20代の頃って周りの人と比べちゃったりして他人(ひと)が気になるかもしれないけど、周りを気にしてもいいことなんてひとつもない。それより、周りとずれていてもいいから自分の好奇心に突き動かされてそれをとことんやり抜くことから自分の未来が開けてくることもあると思う。それも思いがけない未来がね。先のことは見えなくて不安があると思うけど、未来はやっぱり見えないから面白いんだよね。

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山内真太郎「フリーと社畜の二択の時代は終わった」 http://25zine.com/shintaro-yamauchi/ http://25zine.com/shintaro-yamauchi/#respond Tue, 07 May 2013 22:55:09 +0000 http://25zine.com/?p=286 最初の2年間は毎日ずっと悶々としていた

濱田:今、私は仕事のことですごく悩んでいて、これからの人生をどうやって生きていこうかと毎日悶々としているんですね。で、同じような悩みを抱えた人が私だけじゃなくて、周りにもたくさんいるんです。友達に仕事のことを相談されたり、自分でも色々と考えているうちに、同じような悩みを抱えて仕事をしてきた30代の先輩に、私ぐらいの年齢の時にどんなことを考えて、どういう風に生きていたのか話を聞けたら、何か今後を考えるヒントになるんじゃないか、と思うようになって。それでこの25zineをはじめて、1人目に山内さんを選ばせて頂きました。
 大学時代は考古学を勉強されていたのに、卒業後は広告会社でコピーライターとして働きはじめるというユニークな経歴をお持ちなので、まずはその辺りから聞かせて頂きたいと思うんですが、どうして研究の道を選ばずに、就活されたんでしょうか?

山内:考古学は好きだったけど、エジプトをやっても吉村作治先生を抜けないと思ったの。あれだけのパイオニアの人を絶対に抜けない。あの先生を超えてやろうという気持ちはあったけど、それは無理だと思った。だから、違うところで俺は吉村先生を抜くって決めて、迷うことなく就活することにしたんだよね。

濱田:でも考古学専攻から広告業界への就職ってすごく難しそうなイメージがあるんですけど、実際にはどうだったんですか?

山内:今の会社以外は全部落ちたね。だけど一番入りたかった会社に入ることが出来た。最終面接では、「考古学をやっているのになんでうちなの?」っていう質問に、答えを2つ用意して臨んで。1つはギャグで、もう1つが真面目な答え。いざその場になって、「考古学(こうこがく)と広告(こうこく)は似ています」ってギャグを言ったら、さーってみんな引いてた(笑)。それで「嘘です!」って言って、「考古学は、昔の人の営みがどうなっていたのかという、ピースを埋めていく学問です。広告は、今の人間を未来の生活へ連れて行くビジネスで、人の営みに関わるという点では同じベクトルです」と。

濱田:最初からコピーライター志望だったんですか?

山内:うん、コピーライターとして名を成したかったんだよね。当時の就活生のバイブル『面接の達人』には、当たり障りなく「営業志望」と言えって書いてあったんだけど、「コピーライターになりたい」って言い続けた。
 なんでかっていうと、『僕の見た秩序。』のヨシナガさんとちょうど同じ時期にWebサイトを開設したんだけど、1日に5000人くらいそこに来てくれていたから、「俺には文才がある」って思っていたんだよね。それにコピーライターって資格が要らないでしょう。あの頃は血気盛んだから、自分でもコピーが書けるって思い込んでいた。

濱田:それで実際に行きたかった会社でコピーライターとして働きはじめてどうでしたか?

山内:それが全然書けなかったの。出来るって思い込んでいたけど、「ビジネスがどうで、ターゲットがこれで」とか突然言われて、それまで考古学を学んで発掘をしていた学生あがりの俺に書けるわけがないんだよね。きっと光るものがあったから配属されたんだと思うんだけど、何が売れるかとか、どうしたら世の中が驚くかとか、そういう尺度がない状態で放り込まれて、コピーの千本ノックをやったのは辛かった。白紙の前に5時間座っていたこともあるし、「今夜、打ち合わせね。」って言われて考えるんだけど、結局何も書けずに行って激怒されたこともある。
 できると思って入ったのに、出来ないことってすごく悔しいじゃない?そのうち新しいことにも興味が湧かなくなって、2年間は毎日ずっと悶々としていた。「出来ない」「わからない」「辛い」「きつい」って思っていて、そこから逃げ出したくて辞めようと思ったことも何度もある。
 でも思い詰めるとこまで思い詰めて、ある日突然開き直る瞬間があったの。「なんでこんなに悩んでいるんだろう?」って考えて、やるだけやってそれでもだめだったらエジプトのことをやろうって思うようになった。そしたら急に上手く回り出したんだよね。あの頃は思い詰め過ぎていたんだと思う。

今は仕事がめちゃくちゃ楽しい

濱田:今、当時の山内さんのようにそうやって思い詰め過ぎている人って結構いると思うんですよね。特に入って2年目あたりの人とか。それで辞めようか続けようか悩んでいる人はすごく多い気がします。実は私自身も、今の仕事を続けるか、自分のやりたいことをやるのかとても悩んでいるんです。

山内:就活してその会社に入った時の気持ちは、「俺やってやるぜ」って気持ちでしょ。 最初からやりたくなかった仕事なら辞めたほうがいいだろうけど、入った以上は夢があったはず。だから濱田さんも、まず3年頑張ればいいんじゃないかな。色々やれるようになったら面白みも増えるから。僕は、逃げるために辞めるのはかっこわるいと思ったんだよね。自分の美学に沿ってなかった。でも本当に辛かったら、逃げてもいいと思うよ。選んだことに自分で責任を取れたら、それでいいんだよ。

濱田:その結果、山内さんは3年で会社を辞めることなく今も仕事を続けているんですよね。

山内:そうだね。今は仕事がめちゃくちゃ楽しいし、楽しくなかったら続けられない。でも、7,8年前はやってられないって思っていたんだよね。だけどそのうち少しずつ自分のコピーが通るようになってきたり、プレゼンに出してもらえたり成果が出てきて、責任を持たせてもらえるようになって。そしたら仕事がすごく面白くなった。
 最初の頃に企画が全然通らなかったのは、自分のスキルが追いついてなかったから。いきなり仕事ができるわけないじゃん。今思い返すと、仕事が出来るように上司が育ててくれたんだよね。その時はふざんけんなとか思っていたから、当時の自分にそう言っても、信じてもらえないと思うけど(笑)。でもその辛かった数年間のおかげで、自分なりに公私のバランスも取れているし、友達にも恵まれているし、こうやって取材を受けられるくらい楽しく毎日生きてるよ。

フリーと社畜の二択の時代は終わった。

濱田:山内さんのように楽しく仕事して、プライベートも充実しているような生き方に憧れている人はすごく多いと思います。

山内:僕は仕事に100%打ち込んで、毎日家と会社を往復して、家に帰ったらぱたんと倒れる、みたいな働き方が向いていなかったんだよね。会社だけの人にはなりたくなかった。だから僕はベルギービールの会っていう集まりを開催するようになるのだけど、それが仕事で大変な時の心の拠り所だったのかもしれない。仕事以外で自分が息抜き出来る場所を作るのがいいと思うんだよね。
 仕事は大変だけど、プライベートでは思いっきり遊んで。僕は今、平日はなるべく早く帰るようにしているし、土日は会社に出ないようにしています。そうするとうまく時間を使えるようになるから。それで年が明けてから飲んでない日はほとんどないし、土日の予定も埋まっているから仕事は入れたくないし、入れられない。でもきちんと仕事をやっていたら何も文句は言われない。もう僕はそういうキャラクターになっているんだよね。

濱田:会社だけの人になりたくない、っていう思いはすごくあります。それで今、仕事を続けるか、やりたいことのために仕事を辞めるのかすごく悩んでいるんですよね…。

山内:自分の実力が足りなくてどっちかに決めようとするのは正しい悩みじゃないかな。でも、フリーと社畜の二択の時代は終わったと思う。辞めないとマルチな活動ができないというのが一昔前。会社員でありながらもう一つのわらじを履けるのが今の時代。仕事だけをやるのか、やりたいことのために仕事を辞めるかの二択じゃなくて、三つ目の選択肢として、「両方やる」っていうのがあっていいと思うよ。

濱田:そうやって選択肢があるのに、なかなか決めきれない自分がいます…。

山内:「決める力」ってすごく大事だと思う。何かを決めるっていうのは自分の意志でしょ。流された結果、悩んだ結果が何もないと、環境や他人のせいにしてしまうけど、何かを決めたらその結果がどうなるかは自分の責任になる。
 僕の場合は仕事をやるだけやって、だめだったらエジプトのことをやろうと決めたんだよね。それでやるだけやった結果、仕事を辞めずに今これだけ毎日が充実している。
 濱田さんも悩んで悩んで、それで決めればいい。決められないって思うんだったら、サイコロでも転がせばいいよ。悩み抜いてその結果サイコロで決めるならそれでいいと思う。ただ、出た目に対しては必ず一生懸命やらなきゃいけないよ。

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